タグ:人物 ( 38 ) タグの人気記事
GWW —ボブ・ディラン
Twitterより:
iTunesにはボブ・ディランが一曲もない。自分でびっくり。全部アナログ。そのためにプレーヤーはいまだ現役。いまターンテーブルに乗っているのは、緑色の円盤。《Troubled Troubador》という地下室「ビッグ・ピンク」でのザ・バンドとの演奏。愛聴盤のBootleg。

ディランは1978年の初来日しか体験していないけれども、大阪で二日連続して聴いた。会場全体が一つのエネルギー銀河となっていて、終わったら体も心も120%充電されていた。内から沸々と声を上げたくてたまらなくなっていた。

そんな時に詩の朗読の誘いがあったから一も二も無く。だから最初の朗読は、体の中に浸透したディランの1978年のリズム(例えば《Oh, Sister》)に乗って。

c0028055_3495069.jpg

実際はコルトレーンの《Ole》に乗って、
「野がぁ、唸る。
 南無野やぁ、小目野のぉあたり、
 風がぁ、ジャズがぁ起こり、
 草がぁびるびるとぉ、鳴る」
とせり上がるように詠んでいたはず。
でもディランの影響というか、歌唱からも学んだものは多い。
そのうち、尺八やシンセサイダーと共演して、
いつしかビリー・ホリディの低唱を理想とするようになる。

ヴォーカルに限らず、インストルメンタルでも
どこかに<語り>をもっているパフォーマンスが好きである。
歌と語りの間を自在にスライドするような演奏。
歌とも語りともつかない、或いは歌でも語りでもあるような。

ディランもまさしくそんな一人。
好きな曲をざっと挙げてみると:

・One Too Mamy Mornings
・Tomorrow Is A Long Time
・Mr. Tambourine Man
・Ballad Of A Thin Man
・I'm Not There
・This Wheel's On Fire
・I Shall Be Released
・All Along The Watchtower
・One More Cup Of Coffee
・Blind Willie McTell

ベスト10というわけではないけれど、曲との出会いや縁のようなものがあって。
[PR]
by r_bunko | 2014-05-24 23:50 | 音楽
田舎の細道 —ジプシー・スイング
c0028055_12363411.jpg

ジャンゴ・ラインハルトの誕生日(5.16)は、芭蕉の奥の細道出立の日。
こまごま室内での用事もあるけれど、こんな日はじっとしておれない。
「片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず」、と散歩に出た。
連れは、奥の細道300周年の日に作った芭蕉像。
「取もの手につかず」双眼鏡を忘れ、シューズを履き間違え。

朝方は飛ぶように走っていた雲が、夕方には一つもない。
なんだ、「ヌアージュ」を聴きながら、雲も楽しみたいと思っていたのに。
雲は<へうはく>の友なんだがな。

翁がまず白川の関を目標としたように、宛は城山麓の芭蕉の木にした。
散歩のBGMはジャンゴと決めてiPhoneを探ると、まさかの一曲のみ。
(iTunesに収録曲が多すぎて、セレクトを後回しにしたままだった)
その一曲「マイナー・スイング」を取り敢えず繰り返して、
後はジプシーというプレイリストに入っている20曲で代行することに。

芭蕉は旅の達人、風の達人。
ロマの人々は旅の民族、空と風の民族。
われも、と言いたいところだけれど、魂はともかく、
さっそく道筋をうっかり。ゆるい登りで息も早々と上がり気味。

薔薇と金屑、エノキ、テイカカズラ、クローバー、オオデマリと
ここまでは前回と一緒。四つ葉も一枚見つけた。
バラもクローバーも芭蕉の知らない植物だろう。
一句詠んでもらえるなら、どういう句振りだろうか、と空想も楽しい。

空ではヒバリが高らか。
キジの声も一度したように思う。
どこの庭にもシャクヤクが咲いて、マルハナバチが花粉にまみれている。
ゆっくり坂を登り、犬に吠えられ、ようやく宛に辿り着く。
山麓の禅寺への参道脇に野生していたバショウ
それが無かった。どこか間の抜けた風景。まさかね。

一度花を見たいと願いつつ、暑い頃で叶わなかった。
この町で他にバショウのあるところを知らない。
誰のじゃまにもならず、独り茫々と天地に自適していたのにね。
その場を動けずにいると、すぐ頭の上でいい声の、いい歌がする。
ホオジロだと思うけれど、いつもより声も節も豊かで美しい。

やや元気が出て、寺まで登り、傍らの林に分け入ってみた。
白い花をびっしり着けた一木が涼やかに立っていた。
遠目ではミズキかムシカリかと見えたのが、ガマズミだった。
足下には珍しい形をしたトウダイグサが目に付く。



再び犬に吠えられながら坂を下り、別の峠道を登る。
バショウに会えなかったのなら、ユリノキだ。
娘さんが生まれた記念樹で、主は植木屋からフウだと聞いたらしい。
でも、花と実と葉のどれを見てもユリノキ。その花の季節。

無かった。歯の抜けたような風景。今日は、まさかばかり。
切り株があった。上の畑の片隅に伐採した幹や枝が纏められていた。
むざんやな、と芭蕉の山中での句が出かかった。
冬芽のままの枝先を三本ほど貰った。
一本だけ緑の新芽が出ているのを見つけて、それも貰った。
去りがたく写真を撮っているとセグロセキレイが眺めに来た。

c0028055_12373248.jpg

町から次々と馴染んだ木が消えていく。
流寓十年を慰めてくれた木たちである。
この二三年であちこちの木が刈り込まれてもいる。
藪や草叢が刈られて、鳥たちはますます住みにくくなるばかり。
家(町)を出て、散歩ではなく、漂泊をしたくなってくる。

農道をとぽとぽ帰っていると、まっすぐにカワラヒワが飛んできて、
頭の上でホバリング? と思ったら、電線があった。
さらに行くと、こんどはスズメが近くの杭に止まって大きく鳴いた。
こちらを向いて、iPhoneカメラを構えても逃げない。
キョロン、ジッ、キョロン、ジー、と聴き慣れない節。
アカハラみたいな囀りだけれど、どう見ても普通のスズメ。
普通でないのは、その態度と、その鳴き振り。

なるほどすべてのことは虚論かもしれない。
あるいは虚露と言ったのか。
「行く春や鳥啼き魚の目は泪」だから、今日鳥たちはやさしい。
[PR]
by r_bunko | 2014-05-18 12:57 | ふうら散歩
獏は雲に乗って
畦道を茹でて……どうとかこうとかの俳句を夢で作っていた。

川の切り売りを買ってくるとかいう話は、
ブローティガンの短編集にあってお気に入りだったけれど、畦道はどうか。
川には鮒がいたり泥鰌がいたりする。庭に設置すると楽しいだろう。
畦道にも季節によっては蛙や蛇がいる。
鼠年生まれだから蛇は勘弁で、草がまだ繁る前の今ごろがいい。
タンポポがぽつぽつ、ホトケノザ、ナズナなど咲いて、
オオイヌノフグリの青い星が散らばっているとなおいいだろう。
それを書斎に置いておくと慰むのだけれど、
夢では茹でるというから、何かパスタ料理のレシピがあるのかもしれない。
早春の畦道ならあくもなく、ちょうどいい味が出て美味しそう。

と、夢に嵌ってしまうのは三月七日魚座生まれの性癖か。
モンドリアン、ラヴェル、安部公房、石川淳、林静一らの誕生日。

こんな俳句があるけれど、
  富士に傍て三月七日八日かな  伊藤信徳
旧暦だから、もっと暖かくなった頃の春蕩々の旅中の吟。

こちらは昔の拙句、
  三月の七日土方さんの兎  草々子(十露)
土方巽は九日生まれで、九日生(くにお)。
二日早い1987年のこの日目黒のアスベスト館に泊めてもらった。
館主は一年前に亡くなって、可愛がっていたという兎のバロンがいた。

iTunesのシャッフルはレスター・ヤングから始めてくれ、
いまはYouTubeでラヴェルをリレーして聴いている。
c0028055_22443155.jpg
オシドリ探索の誘いもあったけれど、風が強くて諦めた。
瓶に挿してある青軸の梅が一輪咲いてくれた。
相棒はこの日獏の雲を見たそうで、それを描いた抹茶ケーキをどーんと。
獏は雲に乗って、ケーキに乗ってやって来る。
[PR]
by r_bunko | 2014-03-07 22:48 | 獏・夢
竹山水と竹小町
c0028055_20561017.jpg

佐藤春夫 vs 菊池寛。
将棋だったか、囲碁だったか、
前後して速写したものを並べてみた。
これ以外には、徳田秋声、小山内薫ら。昔の文士は、
帽子、眼鏡、煙草、髭……描き易い素材が揃っていた。

筆記具は、竹ペン。
画材屋で見つけたもので《竹山水》《竹小町》の銘。
この二本にどれだけ世話になったことか。
この二本に線の面白さをたっぷり教えられた。
濃淡、硬軟、太さ細さ等々。
殊に竹山水は先が磨り減ってぺらぺら。

紙は、謄写版詩集を作った際の端切れ。
11.2cm x 18.2cm。
これがいっぱいあったので落書きによく使った。
図書室で公開していた『吟遊』『ピアニスト』などもこの紙。
c0028055_14292421.jpg

狭い部屋で六角のテーブル一つ目の前にあって、
向かいは相棒のアトリエ領域、
こちらが小生の書斎領域、
(共有する文房具やら、貸し借りやらあったが)
筆立てとインク壷と珈琲カップと、原稿紙。
あとはアイデアとイマジネーション。

文士たちの肖像に比べると幼い風景だけれど、
その頃のセッション風の創作もまた懐かしい。
今となってはセンチメンタル・ジャーニーである。
[PR]
by r_bunko | 2014-03-02 14:31 | アート
千代之介と龍之介
三月。
一日は芥川龍之介の誕生日。岡本かの子も同じ日。
降る雨と、かれらの髪型に、

  そ の 昔 文 士 の 髪 と 木 の 芽 雨

以下twitterから:
長髪に憧れた最初は映画『紅孔雀』の東千代之介扮する浮寝丸。まだ見ぬ国への幻想を掻き立てられたのもこの映画。

海彦と山彦の古代の髪型も好かった。中学生の頃は音楽室の壁に並ぶバッハやベートーベン、ハイドンらの長髪に不思議な憧憬を覚えたものだ。

高校生頃から文士の長髪に憧れだした。お気に入りは芥川龍之介だったが、頭と顔の形、中味がまるで違うので諦めた。六年間の坊主頭を脱して、一時も早くと伸ばした頭をみて、本など読まぬ青年が「ビートルズ?」と訊いてきた。
c0028055_23595337.jpg

『紅孔雀』は最も記憶の古い歌でもある。
うろ覚えのこの歌詞が知りたくて、いろんな人に尋ねてみた。
全部歌えたのは金沢のあるお寺の大黒さん一人だった。
いまならYouTubeですぐに聴くことが出来る。

昔、テレビで文士たちの記録映像を観た。
芥川龍之介が庭で幼い子供と遊ぶシーンで思わずペンと紙を引き寄せた。
次々にシーンが移るので殴り描き、それでも最後までいかず省略する。
探したら、ひょっこり十枚余の紙片が出て来た。

c0028055_001930.jpg

[PR]
by r_bunko | 2014-03-01 23:57 | 本・電子本
アインシュタインと、そこらの春
昔読んだ本だけれど:
アインシュタインの自伝は、自伝と言いつつ物理の話ばかりでちんぷんかんぷん。
それでも止めずに外国語の原書をとにかく完読するのと同じく最後まで突っ走った。
薄い本なのでそれも出来たのだろう。おかげで大きな収穫があった。
たった一カ所だけ、がつんと解るところがあったのである。

それは、宇宙を知るのによりいい場所というのは無い、ということ。
宇宙の任意の一点は、どこを切り取っても同じ。
どの星から見ても宇宙は等しく同じ風景だ、というのである。
宇宙には特別な場所は無く、無数の観測中心点があるだけ、だと。

これには驚いた。
子供の頃からもっといいどこかを夢見、憧れてきたから、ショックでもあった。
それと同時になにやら、ここで十分やれるのだ、と励まされもした。
この星にいて、宇宙を知ることは、
どこかよその銀河にいて探求している人たちと同じ知見に至る。
E=mc²同様、シンプルで美しい考え。
c0028055_22221383.jpg
(Saxを吹くEinstein by Marica Onza 1993)


年月を経て、<そこらの春>に目が覚めた。
わずかな田圃と畑を縫う農道や、寂れた里山の麓付近。
野草も野鳥も種類は少なく、淋しいと言えば確かに淋しい。
どこか春を満喫出来る森か高原にでも行けたら、とつい思いがち。
そんなさびしさ、わびしさが降り積もって、かえってそこらの春に愛着が湧く。
ヒバリしかいなかったら、ヒバリに会って帰る。
いつもの場所のシロバナタンポポに寄っていく。
それでいいと思う。そこらの春は、どことも同じほんものの春なのだから。
そう思って歩いたら、そこらの木たちが応えてくれたのが「木霊日」という詩編。
そしてその日に辛夷の木で歌ったであろう一羽のアオジ
寒気が去って、ぽかぽかしたら、そこらへ出かけてみたい。
[PR]
by r_bunko | 2014-02-20 22:37 | 本・電子本
ブルー・モンク、ブルー・ポエム
ブログ記事を書いて投稿する時に、あららと驚いていることがある。
詩のカテゴリーを作っていないのだ。
えっ! と自分で呆れて、されど今更追加もというのでそのまま。
ブログをスタートしたのは2005年1月。
詩は書かずもがな、というスタンスではいたけれど、
そうか、詩はどこかでもっと深く断念していたのかもしれないな。
表現は孤独な作業でいて、自分独りの営為では続かない。
いつかだれかの胸に届くだろうと信じて、はじめて発信の力を得る。
アイデンティティーを奪われるとどうなるか、身を以て体験した。
気力、意力はどこから出て、どこへ向かうのか思い知った。

c0028055_20513072.jpg

今日はセロニアス・モンクの命日。64歳(なんという若さだ)。
この稀代のジニアスは晩年の10年間、ほとんどピアノを弾かなかった。
精神も身体も病んでいたとはいうけれど、そのことが信じられなかった。
バド・パウエルは独房の壁の架空の鍵盤を指で押さえて、
見舞いに来たエルモ・ホープに「この音はどう?」と尋ねたという。
そういう人たちなのだと思い込んでいる。信じ込んでいる。
だからモンクが鍵盤にすら触れなかったことは気にかかる。
同様なことはドド・マーマローサにもユタ・ヒップにもある。
それぞれに理由も事情も異なる。ほんとうのところは誰にも判らない。
おそらく本人にも、そのようになる流れはどうしょうも出来ず、
なにか他人事のような哀しさもあったのではないか。

2011年に『春とピアノ』『春と石仏』を書いた。
そこでドドやユタに思いを馳せた。
ドドもユタもモンクも、もうピアノには戻って来なかったけれど、
ぼくはなにやら詩に戻っているのか、いないのか。
記事の投稿時に詩のカテゴリーがないのに呆れ当惑しているのである。
この十年ほど、詩のカテゴリーなど無くても事足りたのも事実。
昔のどこかではぐれてから、詩も生も常に未明未開の「?」であって、
それが時々小さな「!」に置き換わる。
野に出て草花や小鳥たちと同じ空気を吸えばそうなってくる。
それが出来なくなった、と嘆いているのではない。
元気になれば、またのこのこ野に出るだろう。
籠もっていても、鳥や木や風のような声はある。
セロニアス・モンクのピアノの音なんかもそれである。
今日も朝からたくさん聴いて一つの「!」を得た。
それがまた新たな「?」を生み出していく。
詩などは小鳥の地鳴きや囀りのように書いていたい。
[PR]
by r_bunko | 2014-02-17 20:55 | 本・電子本
秋の影を抱く
小学校の榎の具合を見に行った。
雲一片ない空に、葉一枚ない木。
紅葉の季節まで保たなかったようである。
校庭に落ちた樹影をカメラに収めた。

c0028055_0404714.jpg

羅漢寺に足を延ばす。
閑寂な境内にモズの高鳴き。
メジロやコゲラの声がしたが、姿は見ない。
珍しいカエルの鳴き声も響いて、
でもみんなモズの鳴き真似じゃなかろうな。
羅漢たちの耳はどんなふうに聞いたか。
ドングリが一つ落ちた。

c0028055_0411575.jpg

羅漢場の奥の塀に木の影が映って、
「花」というふうにも読めた。

今日は野尻抱影の命日。
影に縁がある日になった。
夜は久し振りに星を観に出た。

  オ リ オ ン の 扉 を 開 く 抱 影 忌
[PR]
by r_bunko | 2013-10-30 23:38 | 北条石仏
暮鳥旧蔵の千家元麿詩集
もう一つの10月22日。
ホームページにかつて掲載していた一文を再掲する。
本にまつわることばかり綴ったエッセイ「文庫草誌」より:
c0028055_02975.jpg
 古書展に久し振りに行った。「月の光」「真夏の星」と天体タイトルの本が星好きの目につく。前者は明治31年発行の月を巡ってのアンソロジー。月の科学から歴史・民俗・文学までを扱った小冊子。後者は千家元麿の詩集であった。なあんだと思いつつ、巻末ページを見て「あれ?」。細いブルーブラック・インクで「やまむらぼてう」と丁寧に署名してある。1924.10.22 の日付とともに。詩集の発行日は同年の9月20日。暮鳥が没したのが、12月8日。するとこの本は、死の一ヶ月前に購入して病床で繙いていた遺品ということになる。ちょうど『雲』の校了にかかっていた頃。
 そんなものが今頃こんなところに出回るか、遺族が処分するか、結核だったから当時ではあり得るかなど思いはぐるぐる巡って、さてどうするか。この本の持ち主も貧窮していたけれど、巡り会ったこちらもすこぶる懐は寒い。哀しいね、縁だねと、千家も含めての一本の糸を、一日迷った後手繰り寄せた。

     ※

そうは書いても、いまでも暮鳥の蔵書だった、というのは半信半疑である。
あいにく暮鳥の筆跡にも詳しくないので判別できない。
もしや、と思ってネット検索すると校正原稿の自筆が一つヒットした。
それと照合する限り、「ま」「て」の二字が同じ筆跡に見える。
サインの佇まいのようなもので本人の字だと直感したにすぎなくて、
それよりも暮鳥の蔵書が手元に巡ってきたことの方が信じ難いことなのだ。

巻末には蔵書印と思しき印もある。
哀しいかな、これが判読できない。
元麿か暮鳥の雅印か、後の所蔵者の遊印か。
どなたかご教示願えたらありがたい。

c0028055_025683.jpg

[PR]
by r_bunko | 2013-10-23 00:05 | 本・電子本
中也忌
本日のTwitterより:

今日は中原中也忌。昔三年連続でこんな句を詠んでいた。
 1987 まづ一羽鴎の中也飛び来たる
 1988 鳴き急ぐ蟲の中也のよもすがら
 1989 秋の宙星の中也の見あたらぬ

鴎の中也は犀川桜橋〜下菊橋の堰堤に来たオオセグロカモメ。たった一羽でユリカモメに先がけてやって来た。冬はもうそこだ、と教えてくれた。うわずってなんかいられなかった。

2000年に妻がスズメのひなを拾ってきて育てた。「雀の中也」と題してホームページに育雛日詩を連載した。さすがに中也とは呼びにくいので、実際にはチュールと名付けた。そのときの体験は『天狗と雀』という作品になった。

 Amazon Kindle Store
 Apple iBookstore


    ※

散歩に出たなら、今日はどんな中也に会えるだろうか、
花の中也か、雲の中也か?
雲は空のほとんどを覆ってきたので、居ないだろう。
花なら、コスモスの中也が風に揺れているだろうか、
案外どんぐりの中也がぼとりと落ちてくるのかもしれない。
などと想像を楽しみながら、家を空けられなくて出不精した。
[PR]
by r_bunko | 2013-10-22 20:03 | 本・電子本



詩と、絵と、ジャズと……星と鳥と……漂泊文庫便り
by r_bunko
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
最新の記事
三日月散歩
at 2014-07-29 23:47
四つ葉のふうら杖
at 2014-06-30 23:54
GWW —ボブ・ディラン
at 2014-05-24 23:50
田舎の細道 —ジプシー・スイング
at 2014-05-18 12:57
ときにはシュール
at 2014-05-11 22:51
金屑と薔薇でフラメンコ
at 2014-05-10 23:30
草の筆で描いた2
at 2014-04-20 23:59
草の筆で描いた
at 2014-04-16 19:07
草の筆いろいろ
at 2014-04-16 19:02
春は五感満開
at 2014-04-14 23:51
カテゴリ
全体
アート
音楽
本・電子本
獏・夢
自然
天文
野鳥
ふうら散歩
北条石仏
播磨
HP・PC・WWW
さまざま
タグ
(73)
(63)
(62)
(46)
(38)
(37)
(36)
(36)
(35)
(31)
(31)
(31)
(29)
(28)
(27)
(25)
(24)
(23)
(21)
(19)
(17)
(15)
(14)
(14)
(13)
(5)
(5)
(3)
(2)
(1)
以前の記事
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
more...
リンク
お気に入りブログ
絵的生活
他力本願!
書をつま弾く、そして歌う。
ふらんす堂編集日記 By...
マリカの野草画帖
イーハトーブ・ガーデン
詩画倶楽部
ギャラリーきのこ
絵てがみに だんだん
あぴあみのポッケ
粥彦
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧